沿革

沿革HISTORY

田谷の歴史

  • 1964

    現名誉会長 田谷哲哉が、東京オリンピック開催日 10月10日に「田谷哲哉美容室」を東京都千代田区麹町にオープン。

  • 1973

    タヤ・ヘアーデザイナーアカデミーを発足。一般女性誌の表紙、TV各局のレギュラー担当など、マスメディアで活動するとともにトップサロンとして認知を得る。

  • 1975

    「株式会社ビューティショップ田谷(現株式会社田谷)」を設立。香港ヒルトンホテルにおいて、「田谷哲哉ヘア・モードコレクション」を開催。アジアの美容界に呼応し、「全アジア・ヘアデザイナーアカデミー(A.H.A)」を創設。翌年以降、毎年アジア各都市にて「全アジア・ヘア&メイクアップコンテスト」を開催。

  • 1983

    田谷哲哉 ヘアデザイナーの第一線から引退、マネージメントに専念。神奈川県横浜市緑区に自社ビル(TAYA 101)を建設。大型郊外型サロンのさきがけとなる。独自開発による全店コンピュータネットワークシステムを構築。

  • 1986

    神奈川県横浜市にトレーニングセンターを開設。九州に進出、福岡市中央区けやき通りにオープン。

  • 1988

    TAYAアーティスティックチームがロンドン・ワールド・ヘアドレッシング・コングレスより日本代表として招聘される。
    以後、1992年・1994年・1996年・2000年・2003年・2004年 計7度、日本代表として出場。

  • 1989

    東京都千代田区内に関連商事会社「株式会社エムズ(株式会社エバンジェ・タヤ)」を設立し、事務所兼倉庫を神奈川県横浜市内に置く。

  • 1990

    美容顧客意識調査のための大規模アンケートを実施。「現代女性のヘアスタイル白書-当世女髪型気質」を発表。'90ニューヨークI.B.S.(インターナショナル・ビューティーショー)に日本代表として招聘される。

  • 1991

    本社機能を原宿に移転。

  • 1992

    第2次美容白書発表。その後のヘアカラーブームの起点となる。
    TAYAアーティスティックチームがロンドン・ワールド・ヘアドレッシング・コングレスより日本代表として招聘され再び出場。

  • 1994

    業務拡張の為、本社移転。
    TAYAアーティスティックチームがロンドン・ワールド・ヘアドレッシング・コングレスより日本代表として招聘され3度目の出場。

  • 1996

    TAYAアーティスティックチームがロンドン・ワールド・ヘアドレッシング・コングレスより日本代表として招聘され、4度目の出場。

  • 1997

    フルサービス大型サロン「TAYA & CO.GINZA」を銀座並木通りにオープン。業界初の株式店頭公開。

  • 1998

    米国「カペリプント サロン/スパ」と提携、東京銀座に1号店をオープン。ファミリーを対象とした低価格サロン「Shampoo」を福岡県中間市にオープン。

  • 1999

    '99 ニューヨーク I.B.Sに日本代表として招聘され2度目の出場。株式会社「エバンジェ・タヤ」を吸収合併。

    東京証券取引所2部上場。

  • 2000

    東京・原宿に本社自社ビル完成。

    TAYAアーティスティックチームがロンドン・ワールド・ヘアドレッシング・コングレスより日本代表として招聘され、5度目の出場。

  • 2001

    東京証券取引所1部上場。

  • 2003

    TAYAアーティスティックチームがロンドン・ワールド・ヘアドレッシング・コングレスより日本代表として招聘され、6度目の出場。

  • 2004

    現TAYAクリエイティブチーム(TAYAアーティスティックチーム)が、ロンドン・ワールド・ヘアドレッシング・コングレスより日本代表として招聘され、7度目の出場。

  • 2005

    東京銀座に最大級の「GRAND TAYA」オープン。

  • 2010

    「NEWMODE」再始動。クリエイティブ活動が新たにスタート。

  • 2014

    10月10日創業50周年

  • 2019

    10月10日創業55周年

  • 2021

    東京・代々木へ本社移転

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